2012年02月10日

英語と臨界期

日本の英語教育者の知り合いからよく聞かれることがあります。

それはいわゆる「臨界期」を過ぎてから始めた私の英語習得方法です。

高校1年生のとき、連日、放課後に英会話のネイティブの先生と1対1で(英語圏からの帰国子女や幼少時から英語環境で育ってきた生徒の参加を認められていない)全日本英語弁論大会の最終決勝大会出場に向けて練習をしているときに、「目を瞑って君のスピーチを聴くとアメリカ人のティーンネージャーがスピーチをしているのと変わらない発音とイントネーションをしている。」と言われたのを皮切りに、私の日英同時進行型の人生が始まりました。

異文化とは疎遠の家系で育ちました。生まれ育った町も地域もそうでした。通った小中高も日本伝統文化を重んじた校風でした。中学校3年生のときに生まれて初めて米国に3週間ほど語学留学をするまで、生の英語圏の香りとの唯一の接点は、学校に一名おられた米国籍の英会話の先生と学年に1名いるかいないかの英語圏からの帰国子女くらいでした。

高校の交換留学を終了した仲間の中にはそのまま米国で進学の道を選んだ友人もいましたが、私は日本の大学受験の世界に復帰して日本で進学する道を選びました。米国で優雅な(当時は優雅にみえたものでした)大学生活を送る旧友たちの話を聞きながら羨ましい気持ちも多少はありましたが、大学では素晴らしい恩師との出会いがあったり、民間組織でのインターンなどの機会にも恵まれてとても充実したものでした。よく学びよく遊びました。学生仲間とは今でも生涯の友情を温めています。

中学生時代を振り返ってみると、県内に英語教育に力をいれていて海外留学制度も充実していた学校もありましたが、中学受験の結果から英語教育過渡期に遅れない程度に英語教育を施していた学校に通うことになりましたが、自分の英語の原点となったのは、間違いなくその中学校の英語と英会話の授業にあったと確信しています。

片っ端から暗記しました。最初は苦手でした。何しろ中学入学と同時に突然現れた外国語の世界ですから。英会話の授業は週に一度あったのですがもっと苦手でした。苦手だったからこそ火がついたんだと思います。

思いつくままに毎日欠かさずラジオやテレビ等で生の英語に触れるようにしました。英語文型ドリルは家族旅行にも持参しました。英語弁論大会を控えた修学旅行中でもご高齢だった英語の担当の先生の熱心なご指導に甘えて寝室にお邪魔してカセットテープを流しながら毎晩弁論の練習をしました。中高生学習用の英字新聞を片っ端から読んだりReader’s Digestを読んだしして放課後にネイディブの先生と1対1でお時間をいただき感想を英語で表現する練習をしました。英文日記もつけました。夕方習い事から帰ってきて夜寝るまでの時間はずっと自分の部屋で数本だけ持っていた英語のカセットテープを磨り減るほど流していました。日常生活で英会話を練習できる人物はいないので家のペットにひたすら英語で話しかけました。(さすがに冷静になって思い出してみると狂的と思えるほどでしたが・・。)

そんな英語漬けの青春時代を過ごして、20代前半で大学院留学をしました。同期の留学生仲間と一緒に学生証の手続きなどをして学生課の係りの人と幾つか確認事項などをした際に(留学生に付き添って米国生活に慣れる手伝いをする)米国人のチューター学生かと勘違いされました。また、20代半ばに再び渡米して以来、日本企業文化とは無縁の純米国のビジネス環境で働いているのですが、米国人の上司や同僚などから、むしろ米国育ちで米国の大学を卒業していないことに驚愕されることもあります。

外国語の学習は熱意さえ維持して、自分の目標とする能力獲得に向けて動き続けると、臨界期を過ぎても決して不可能ではないのではないかと思う次第です。留学すれば英語が流暢に話せるようになる、というのは間違い。私は中学3年生の夏に始めて日本を離れて米国に夏季留学をしましたが、そのときにホームステイ先の家族に質問されました。何故皆同じ土俵なのに君だけ英語に訛りがないのかと。

逆に言うと世の中は冷たいものです。10代のときに留学したから流暢で当然でしょう。大学時代も言われました。英語討論会とか英語弁論クラブに入っているから流暢で当然でしょう。そして社会人になれば、翻訳の専門職に就いていれば仕事で使うから英語得意で当然でしょう。配偶者が米国人なら意思疎通に問題なくて当然でしょう。渡米してからは、アメリカに住んでいるから英語が出来て当然でしょう。さらに、アメリカで働いているのなら英語に問題なくて当然でしょう。どれも極めて本末転倒。

一般的に、臨界期を過ぎてからの言語習得は難しいといわれます。でも、臨界期を過ぎてから英語なり他の外国語に出会ってネイティブ並みの語学力を身につけた何名ものプロフェッショナルと仕事を通して出会いました。

大人になって外国語として日本語を学び始めた韓国生まれ米国育ちの二重国籍の銀行マンは、日本の銀行マンとなんら変わらない流暢な日本語で巧みにビジネスをしていました。秘訣はシェアしてもらえませんでしたが、本人が誇りにしていることは間違い様子でした。

また、留学経験がなくても日本人女性の友人で若い頃から英語が得意科目で、スピーキングも読解力もほぼネイティブ並みに自分のものにしている人はそう少なくはありません。ちなみに私が中高生のときに目標としていた方は、NHKビジネス英語講師の杉田聡先生でした。

また、日本人以上に美しい日本語を習得している米国人ロイヤーと仕事をしたこともあります。彼は、米国育ちで高校生のときに必須だった外国語科目で日本語を選択して、日本語と日本文化への魅力を追求した暁には、日本語の流暢さだけではなく言葉の微妙なニュアンス、慣用語、四字熟語、俳句、短歌、日本を代表する代表的な小説にいたるまで日本人以上に深く日本を理解していました。日本人の思考プロセスや「うち」と「そと」の感覚までも心得ています。「日本人よりも日本人っぽいですね。」と日本でインターンシップをして働いていたときに日本人に言われていたことを思い出して本人ははにかんでいました。(余談ですが、日本に永住して日本国籍をとるのが夢だったのですが米国人の奥様の猛反対で叶わぬ夢となったそうですが。)

「臨界期」とか「外国語を学ぶには遅すぎる」などという殻から抜け出してみると、心が軽くなるかもしれませんね。

余談雑談:
スピーキングに限っての話ですが、20代半ばに今の街に引っ越してきて以来、米国内の他州に出張すると必ず笑いの種にされることがあります。それは、この街独特の方言に「汚染」されてしまったが故に出張先の人間に私はこの街で生まれ育ったのだと勘違いされることです。東京の外資勤務時代の米国出身の元エクスパットたちと再会するたびに「汚染」振りに必ず爆笑されます。この街に引っ越してくる前まではアメリカの標準英語一本でしたからどうも皮肉な展開ですが。
posted by Working Mom at 06:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 英語の四方山話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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