2011年09月10日

プロフィール

広島県出身。

都内の学生時代、同期の仲間がサークルの合宿や合コンで学生生活を満喫しているのをよそに、講義のない時間は、ほぼ家庭教師や法務関係のアルバイト浸けで、夏休み・春休み・冬休み・GWなど長期休みは、決まって外資系企業法務や法律事務所でインターンをして過ごしました。

そんなつまらなさそうな学生生活の中でも、カラオケもボーリングもデートもプリクラもして(こちら、時代を反映していますね)、ゼミの教授やゼミ生との飲み会でしっかり語り合いましたけど、何よりも親元から離れて上京した先で、知的刺激の多い職場で自分の人脈で稼ぐことが楽しくて、それによって得られた自立感や充実感に何とも言えない喜びを感じていた記憶があります。

男女別に行われた就職説明会や、それに拍車をかけるように直面せざるをえなかった就職氷河期の現実で相次いだ悔し涙を何とか乗り越えて、大学卒業後は茅場町界隈の「老舗系」会社で金融翻訳の専門家としてどっぷりニッポンの会社社会に浸かりました。

その後、学生時代から夢見ていた米国北東部の「老舗系」大学院に留学。いわゆるソクラテクメソッドで教授に大教室でけちょんけちょんにされながらもなんとか卒業。パーソナルライフでは、東京での学生時代からの遠距離恋愛が実り、留学中に婚約&結婚。

修士号を取得して帰国後、赤坂界隈の「米ハゲタカ系」巨大法律事務所でパラリーガルとして激務生活を開始しました。その数年後、夫の仕事の都合で再び渡米となり、共和党色の濃い都で「地域貢献型」法律事務所で4年間ほど比較的温和な勤務生活を送りました。

その時期に妊娠・出産。働き癖から抜けられないタチの私は(今振り返ればやや無謀な行為でしたが)我が子が生後6週間で仕事復帰をして、世の中の「ワーキングマザー」の仲間入りをしました。

その後、さらなる刺激を求めて、東京外資時代に働いていた「米ハゲタカ系」巨大法律事務所の米国内某主要都市オフィスに復帰し、比較的温和なワークライフを続けていたのですが、気がついたら「弱肉強食」で"hostile"な職場環境に自分を追い込んで再び激務生活を送っていたことに気がついたんですよね。(ご参考までに、2011年7月のビラブルは約270時間突破。)

世界金融危機の渦中では、ウォール・ストリート・ジャーナルの第一面で注目されていた事件やSECなとの連邦政府による調査などの返答作成に直接関わったり、日本の東日本大震災と直接的に関連する大型クロスボーダー取引に関わったり、メキシコ湾で起こった米国史上最大の原油流出事故に付随した大型訴訟に関わったり、クロスボーダーM&Aのデューデリで米司法省からの返答プロジェクトに関わったり、大型PPP(官民事業)のクロージングで米国は東海岸から西海岸まで出張に出かけたり、事務所のニューヨーク本社に何度も足を運んだり、常に事務所のグローバルなネットワークで他のオフィスと共同作業で仕事をしました。

仕事内容がいくら魅力的で仕事熱があっても、独身時代や母親になる前のような勤務スタイルを続けていくことに限界を感じ始めて、仕事と家庭の程よいバランスを求めるようになりました。パラリーガル業開始(偶然にも米国同時多発テロ)から10年目の2011年9月に、欧州系多国籍企業の米国本社の法務部に転職して、気分を新たに企業法務(インハウス)に関わる決心をしました。

そんな私の企業法務の雑感記録です。出来るだけ肩の力を抜いてざっくばらんに綴っていきたいです。

どうぞよろしく。

追伸:帰国子女、インター、米軍基地、エクスパット、外交、国際交流、異文化経験などという言葉とは疎遠の純日本の環境で幼少時代を過ごしました。
posted by Working Mom at 13:19| Comment(0) | TrackBack(0) | プロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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